世界大百科事典(旧版)内のアタナギルドの言及
【トレド】より
… トレドが歴史に大きく浮かび上がってくるのはローマ時代末期で,400年にイベリアのキリスト教会がその第3回司教会議をここで開催したときからである。その後,半島の支配権がローマからゲルマン人の一派西ゴート(ビシゴート)族に移ると,その王アタナギルドAtanagildo(在位554‐567)は560年に宮廷をトレドに定めた。こうして711年の西ゴート王国崩壊までトレドはイベリア全土の政治の中心地となり,聖俗両界にまたがって政策の審議決定の場となった教会会議も17回ここで開かれた。…
【西ゴート王国】より
…選挙王制の原理は,西ゴート人の場合,暗殺が政治手段として多用されるという弊害をもたらした。549年に王位に就いたアギラAgila(在位549‐555)は,ビザンティン軍上陸の脅威を感じ,宮廷をメリダに移し,続いてその後継者アタナギルドAthanagild(在位551,555‐567)はトレドに移転した。これによって西ゴート人の移動は終了した。…
※「アタナギルド」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」