アッシュ・キャン・スクール(読み)あっしゅきゃんすくーる

世界大百科事典(旧版)内のアッシュ・キャン・スクールの言及

【アメリカ美術】より

…前者は同時代パリのモダニズムを伝える窓口として,またアメリカの近代美術を育成する拠点として機能した。後者はアカデミズム化していた画壇に反抗して都市生活の日常をリアルに描き,〈アッシュ・キャン・スクールAsh Can School(ちり箱派)〉とも呼ばれた。これらに続き,第1次大戦直前の13年に国際近代美術展〈アーモリー・ショー〉が催される。…

【ニューヨーク】より

… こうしたリアリズム文学(ないし自然主義文学)の興隆と軌を一にして,美術のほうでもニューヨークの市民生活をリアルな目でとらえた新しい画家のグループが出現している。1890年代にフィラデルフィアからニューヨークに移ってきたR.ヘンライを筆頭にするいわゆる〈アッシュ・キャン・スクール(ちり箱派)〉である。きれいごとしか描かないアカデミズムに反逆して,彼らはおもに市井の庶民生活をリアルに表現した。…

※「アッシュ・キャン・スクール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む