世界大百科事典(旧版)内のアッバース朝革命の言及
【ハーシム家】より
…第4代正統カリフ,アリーはハーシム家を代表する立場にいたが,彼のカリフ位就任には反対も強かった。8世紀中葉,ウマイヤ朝に反対する人々が,〈ハーシム家に権力を〉をスローガンに革命運動を起こし,ムハンマドの叔父アッバースの子孫にあたるサッファーフをカリフ位につけアッバース朝を樹立した(アッバース家運動,アッバース朝革命とよばれる)。近代になって第1次世界大戦中にアラブの反乱を指導したメッカの知事フサインはハーシム家出身であることを強調し,彼の子孫が国王となっているヨルダンは現在もヨルダン・ハーシム王国と称している。…
【ホラーサーン】より
…遊牧民の南下の通路にあたり古来しばしばその侵入を被った。ウマイヤ朝後期シーア派運動が活発になり,この運動を利用しアッバース家がメルブで武装蜂起し,ウマイヤ朝を倒した(アッバース朝革命。750)。…
※「アッバース朝革命」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」