世界大百科事典(旧版)内のアテナ・リンディアの言及
【リンドス】より
…前5世紀末の集住後もリンドスは古来のアテナ信仰の聖所として重要性を保った。アクロポリス南端に現存するアテナ・リンディアAthēna Lindiaの小神殿は前4世紀の再建になるもので,大階段をもつプロピュライアは前5世紀末以降の建築になる。アクロポリス西方の岩山にはヘレニズム時代の岩室墓が点在する。…
【ロードス[島]】より
…前292年ロドス港に立てられたが前227年に地震で崩壊),《サモトラケのニケ》(パリ,ルーブル美術館),《ラオコオンと息子たち》(バチカン美術館)は,彼らの作品であった。また,古い都市カメイロス,イアリュソス,リンドスは,新都市ロドスに統合されたとき,ほとんど放棄されたが,リンドスのアクロポリスは,女神アテナ・リンディアの信仰の地として以後も繁栄を続けた。今日この地に残る神殿,プロピュライア,ストアなどの建築遺構は,ヘレニズム時代の建築思想を知るための重要な資料となっている。…
※「アテナ・リンディア」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」