アパツィンガン憲法(読み)あぱつぃんがんけんぽう

世界大百科事典(旧版)内のアパツィンガン憲法の言及

【モレロス】より

…メキシコ独立戦争の指導者。M.イダルゴが院長をしていたバヤドリードの神学校に入学して司祭となり,独立戦争中はイダルゴの右腕として働き,彼の亡き後は反乱軍を指導した。A.deイトゥルビデと交戦したこともあり,1814年には自由主義思想に立脚したアパツィンガンApatzingán憲法を作成した。しかし,1815年に逮捕され銃殺。独立戦争はこの時期から停滞し,21年にようやく達成された。彼をたたえ,生誕地バヤドリードはモレリアと改名された。…

※「アパツィンガン憲法」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

立春から数えて 88日目で,現行暦では5月2日頃にあたる。八十八夜を過ぎればもはや晩霜も終りになるので,農家ではこれを種まきや茶摘み,その他の農作業開始の基準としている。日本では明暦3 (1657) ...

八十八夜の用語解説を読む