世界大百科事典(旧版)内のアパツィンガン憲法の言及
【モレロス】より
…メキシコ独立戦争の指導者。M.イダルゴが院長をしていたバヤドリードの神学校に入学して司祭となり,独立戦争中はイダルゴの右腕として働き,彼の亡き後は反乱軍を指導した。A.deイトゥルビデと交戦したこともあり,1814年には自由主義思想に立脚したアパツィンガンApatzingán憲法を作成した。しかし,1815年に逮捕され銃殺。独立戦争はこの時期から停滞し,21年にようやく達成された。彼をたたえ,生誕地バヤドリードはモレリアと改名された。…
※「アパツィンガン憲法」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」