世界大百科事典(旧版)内のアビニョンの橋の言及
【橋】より
… ローマ帝国滅亡後,再び注目すべき橋がつくられるようになったのは12世紀に入ってからである。このころキリスト教の修道僧に指導された架橋奉仕団がヨーロッパ各地に石のアーチ橋を架けたが,その中で南フランス,アビニョンのサン・ベネゼ橋Pont Saint‐Bénezet(1185,通称アビニョンの橋)は今もその一部が残り,橋脚上の礼拝堂はその後の中世の橋の動向を示唆している。ローマ時代の石造アーチが半円形であったのに対し,このころには扁平な円弧アーチやサラセン文明の流れをくむ尖頭アーチも見られるようになった。…
【アビニョン】より
…かたわらを流れるローヌ川は急流であるため,橋はしばしば流失した。伝説上1177年架設とされるサン・ベネゼ橋は中途で流失したまま,残骸を現在にのこしているが,この橋はフランス民謡《アビニョンの橋》で子どもたちが踊る橋として知られている。現代にあっては,行政上の中心として機能するほか,第2次大戦後発足したアビニョン芸術フェスティバルをもって知られ,旧教皇庁の中庭でおこなわれる前衛劇,および〈音と光のスペクタクル〉は,年々評価が高まっている。…
※「アビニョンの橋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」