世界大百科事典(旧版)内のアブラハム,O.の言及
【ホルンボステル】より
…翌年ベルリン大学に移り,C.シュトゥンプの下で当時興隆し始めた比較音楽学の研究に従事。この年の秋,ベルリン公演中の川上音二郎・貞奴一座の音楽の録音をとり,インタビューも行い,03年に同僚のアブラハムOtto Abraham(1872‐1926)と《日本人の音組織と音楽に関する研究》を発表し,音楽学界にデビューした。17年から33年にナチスに追われるまで,ベルリン大学で比較音楽学を講じ,G.ヘルツォーク,H.R.H.ヒックマン,M.コリンスキ,W.ビオラなどの俊秀を育て,間接的にはアメリカでのこの学問の形成にも寄与した。…
【民族音楽学】より
…このフォノグラム・アルヒーフの所長としてシュトゥンプに協力したE.M.ホルンボステルこそベルリンを比較音楽学の中心地とした人物である。彼は協力者アブラハムOtto Abraham(1872‐1926)と録音された異文化の旋律を採譜し,その音構造を解明しようと試みた。両名の共著である《日本人の音組織と音楽に関する研究》(1903)はその顕著な一例である。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」