世界大百科事典(旧版)内のアポロ・パラティヌスの言及
【アポロン】より
…デルフォイではまたギリシア四大競技の一つに数えられるピュティア祭競技が4年ごとに催され,各種の芸文および運動競技の勝利者には,月桂樹(アポロンの聖木)の枝葉でつくった冠が与えられた。この神はイタリアへはエトルリアおよび南部のギリシア植民市を通じて入り,共和政時代のローマではおもに癒しと予言の神としてあがめられたが,前28年,アウグストゥス帝がパラティヌス丘に神殿を奉献して以来,アポロ・パラティヌスは〈最善最大のユピテル〉にも匹敵する大神となった。美術ではつねに理想的な青年として表現され,有名な彫刻にオリュンピアのゼウス神殿西破風のアポロン像(前460ころ),バチカン宮美術館蔵の《ベルベデーレのアポロン》(ヘレニズム期の作品の模刻)などがある。…
※「アポロ・パラティヌス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」