世界大百科事典(旧版)内のアマラスンタの言及
【テオダハド】より
…トスカナに大所領を得て,古典文化に傾倒していた。534年10月のアタラリック王Athalarich(在位526‐534)の死後,王母アマラスンタAmalasunthaはいとこテオダハドを王と宣して共同統治を図ったが,テオダハドは彼女を監禁・処刑(535),東ローマ皇帝ユスティニアヌスはこの件を口実にゴート戦争を開始した。テオダハドはシチリア譲渡や貢納金・兵員の拠出を,次いで東ローマ領内での身分相応の生活保障を条件に退位を約したが,ダルマティアでの戦況好転で翻意した。…
【東ゴート王国】より
…大王は526年に他界した。後継者は幼王アタラリックであったが,実際には大王の娘アマラスンタAmalasuntha(?‐535)が摂政として統治した。 一方この時期ビザンティン帝国が旧ローマ領土奪回の動きを見せはじめる。…
※「アマラスンタ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」