アメリカン・バレエ団(読み)あめりかんばれえだん

世界大百科事典(旧版)内のアメリカン・バレエ団の言及

【ニューヨーク・シティ・バレエ団】より

…現在の名称になったのは1948年からだが,クラシック・バレエをアメリカに根付かせるため,常設的なバレエ団の創設をカーステーンが考えて,1933年パリからバランチンを招いたのが始まりだった。翌34年1月2人はまずバレエ団をつくる素地としてアメリカン・バレエ学校を開校,翌35年には同校出身者から成る巡業用のアメリカン・バレエ団を創設した。同年秋ニューヨークのメトロポリタン歌劇場の座付きバレエ団になったが,国際スター指向をきらうバランチンとの見解の相違から,38年同劇場の専属契約を解除した。…

【バランチン】より

…33年カーステーンLincoln Kirstein(1907‐96)に招かれアメリカに渡り,翌年アメリカン・バレエ学校を設立した。これを母体としてアメリカン・バレエ団ができ,現在のニューヨーク・シティ・バレエ団に発展した。振付においては純粋の舞踊のみが究極の目的であり,舞踊とは人体という楽器の奏でる視覚的音楽であるという考えに立っており,物語のない,いわゆる〈抽象バレエ〉を多く創作した。…

※「アメリカン・バレエ団」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む