世界大百科事典(旧版)内のアルトマルクの講和の言及
【エストニア】より
…北方ではスウェーデンが隆盛期を迎え,エーリック14世がエストニアに兵を進め(1561),ポーランドと争ったため,戦場となったエストニアは荒廃した。(2)スウェーデン時代 スウェーデンのグスタブ2世アドルフは大軍を率いてポーランドに攻め入り,1629年アルトマルクの講和によりエストニア全域とリボニアを手中に収めた。彼は外征ばかりでなく文芸の振興にも意を用い,32年タルトゥにドルパート大学を設立した。…
※「アルトマルクの講和」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」