アルハンゲリスキー聖堂(読み)あるはんげりすきーせいどう

世界大百科事典(旧版)内のアルハンゲリスキー聖堂の言及

【クレムリン】より

…クレムリンが今日見られるような形になったのは,15世紀末から16世紀にかけてのことである。ロシア教会の総本山にあたるウスペンスキー聖堂,歴代大公および後のツァーリらの柩をおさめるアルハンゲリスキー聖堂,大公家の私有教会であるブラゴベシチェンスキー聖堂,外国の使者を接見し,祝宴を催すルネサンス風建築グラノビータヤ宮殿,〈大イワン(イワン・ベリーキー)〉と呼ばれる鐘楼もこの時期に建てられた。ツァーリ一家の居館(テレム宮殿)や総主教館は17世紀,武器庫(アルセナール)や元老院は18世紀,700の部屋をもつ大クレムリン宮殿は19世紀に建てられた。…

※「アルハンゲリスキー聖堂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

[生]1936.2.20. 千葉,臼井プロ野球選手,監督。佐倉第一高等学校から立教大学を経て,1958年に東京読売巨人軍(読売ジャイアンツ)に入団。右投げ右打ちの強打の三塁手として,入団 1年目に本塁...

長嶋茂雄の用語解説を読む