世界大百科事典(旧版)内のアレマン族の言及
【シュワーベン】より
…歴史的には,ゲルマンの一部族,彼らの定住した地域,あるいは中世にこの地域に建てられた部族公国のことである。ゲルマンの一部族としてのシュワーベンは3世紀にライン川とイラー川の中間,ボーデン湖までのローマ領内に侵入して定着し,5世紀に定住地域をエルザス(アルザス),スイス,フォアアールベルク,東はレヒ川まで拡大したアレマン族Alemannen(alle Männer)のことで,これは,ザクセン族,フランク族,チューリンゲン族,バイエルン族,フリーゼン族とともにドイツ民族を構成する6部族の一つである。アレマン族と彼らが定住した地域であるアレマンニアAlemanniaは10世紀ころからシュワーベンと呼ばれるようになるが,この名称は1世紀ころゲルマニアに住んでいたスエビ族Suebiに由来している。…
【スイス】より
…人種的構成は5世紀のゲルマン人の大移動のときに決まり,現在まで不変である。アルプスの南側に侵入し,最も早くローマ化したランゴバルド族はイタリア語を,スイスの西部地域に入ったブルグント族はフランス語を,ライン川を渡ってアーレ川の線まで進出したアレマン族Alemannenはローマ化をまったくせず,ドイツ語を話すようになった。ゲルマン人に追われてアルプス東部山中に踏みとどまったラエティア人はレト・ロマン語を保持しつづけた。…
【フォアアールベルク】より
…ボーデン湖畔のブレゲンツは近来,音楽祭でも有名である。 古くはローマの属州ラエティアRaetiaの一部で,4世紀初め以降,西ゲルマン系のアレマン族が定住し,6世紀末にはフランク王国に編入された。ブレゲンツ伯家は1154年に,同系のフレンドルフ伯家も80年に断絶,その遺領はシュタウフェン家に帰した。…
※「アレマン族」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」