世界大百科事典(旧版)内のアンジュー帝国の言及
【プランタジネット朝】より
…イングランド中世のほぼ全時代を支配したが,14世紀初頭のエドワード1世の治世の終りをもって前期と後期に分けられる。
[前期]
プランタジネット朝はスティーブン王の内乱時代の後をうけてヘンリー2世(在位1154‐89)の即位とともに始まるが,彼は父方よりアンジュー,メーヌ,トゥーレーヌを,母方よりノルマンディーを,また王妃エレアノール(もとフランスのルイ7世の王妃)よりアキテーヌを得て広大な〈アンジュー帝国〉の主君たる地位を占めた。帝国の政治的・文化的中心は大陸にあり,イングランドはその辺境にあってアンジュー家に王位と,また主君が大陸で活動するための人的・物的資源とを提供した。…
【ヘンリー[2世]】より
…父はフランスの有力貴族アンジュー伯ジェフリー,母マティルダはイングランド王でかつノルマンディー公ヘンリー1世の娘で,はじめドイツ皇帝ハインリヒ5世と結婚したが死別した。ヘンリー2世は父方と母方から広大な所領を相続し,さらにフランス王ルイ7世の妃であったエレアノールと結婚して彼女の相続するアキテーヌ侯領を合わせ,西のピレネーから南フランスに及ぶ〈アンジュー帝国〉をつくりあげた。ただしイングランドのみが彼の家産で,〈帝国〉の中心部をなす大陸の所領はすべてフランス王の封建家臣として領有した。…
※「アンジュー帝国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」