世界大百科事典(旧版)内のアンジュー朝の言及
【プランタジネット朝】より
…ヘンリー2世からリチャード2世に至る8代245年に及ぶイングランドの王朝。1154‐1399年。王朝名はヘンリー2世の父アンジュー伯ジョフロアが冑に常時挿していたエニシダのラテン名planta genistaに由来する。別にアンジューAnjou朝ともいう。イングランド中世のほぼ全時代を支配したが,14世紀初頭のエドワード1世の治世の終りをもって前期と後期に分けられる。
[前期]
プランタジネット朝はスティーブン王の内乱時代の後をうけてヘンリー2世(在位1154‐89)の即位とともに始まるが,彼は父方よりアンジュー,メーヌ,トゥーレーヌを,母方よりノルマンディーを,また王妃エレアノール(もとフランスのルイ7世の王妃)よりアキテーヌを得て広大な〈アンジュー帝国〉の主君たる地位を占めた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」