世界大百科事典(旧版)内のアンティオキアのイグナティオスの言及
【イグナティウス・デ・ロヨラ】より
…エルサレム巡礼(1523‐24)後,バルセロナでラテン語(1524‐26),アルカラとサラマンカで高等教育(1526‐27),パリで哲学と神学(1528‐35)を学び,36年ベネチアで神学を修了して翌年6月24日司祭に叙階された。このころ彼はその名イニゴにかえてアンティオキアのイグナティオスの名を使うことにした。37年末からローマに定住し,《会掟草案》を書き,40年9月教皇パウルス3世によってイエズス会創立が認可されるや,41年4月8日総長に選ばれ,没する時までその職に献身した。…
※「アンティオキアのイグナティオス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」