世界大百科事典(旧版)内のイエケ・ジャサクの言及
【チンギス・ハーン】より
…そして千戸やその下の百戸,十戸の長の子弟1万人を身辺に集めて親衛隊を組織した。彼はまた,帝国の基本法典であるイエケ・ジャサク(大法令)を制定した。以上の,彼の優れた組織力によって整えられた制度によって,ハーンの国家統制力は強固となった。…
【ヤサ】より
…モンゴル帝国時代に法令,法度を意味した言葉。ヤサはトルコ語で,モンゴル語ではジャサクJasak(札撒,札撒黒)という。この語はモンゴル帝国建設前,軍律,軍法などの意味で用いられていたらしい。1206年の帝国の建国とともにチンギス・ハーンは帝国の基本法を定めたが,それは大法令(イェケ・ジャサクYeke Jasak)と称された。これはその後1218年,25年に手が加えられて整えられた。大法令はモンゴル族の慣習法に基づきながら,大帝国の統治に必要な種々の内容をもりこんで法典化されたものとみられる。…
※「イエケ・ジャサク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」