世界大百科事典(旧版)内のイスラム世界会議の言及
【パン・イスラム主義】より
…ラシード・リダーの《マナール》誌の活動は,カリフ制なき後のイスラム世界統合の希求に支えられていた。 第2次世界大戦後では,一時パキスタンが明確にパン・イスラム主義をうたい,イスラム世界会議Mu’tamar al‘Ālam al‐Islāmī(1926年メッカで創設,31年以降アミーン・アルフサイニーを議長としてエルサレムに本部を置いた)の本部をカラチに移した。ナーセル政権下のエジプトでは,ムスリム同胞団を禁圧しつつも,アズハル大学を通じて世界のイスラム教徒への働きかけがなされた。…
※「イスラム世界会議」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」