イブラヒム・テモ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「イブラヒム・テモ」の意味・わかりやすい解説

イブラヒム・テモ

「テモ」のページをご覧ください。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のイブラヒム・テモの言及

【青年トルコ】より

…オスマン帝国末期,スルタン,アブデュルハミト2世の専制政治に反対した改革運動。1889年イスタンブールの軍医学校学生イブラヒム・テモIbrahim Temo(1865‐1945)の結成した〈統一と進歩委員会İttihad ve Terakki Cemiyeti〉を中心勢力とし,1876年に公布されたミドハト憲法の復活を目的とした。これは,西欧近代文明を導入しオスマン帝国の改革を図ろうとしたナムク・ケマルらの新オスマン人協会の活動をうけつぐものであった。…

※「イブラヒム・テモ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む