世界大百科事典(旧版)内のインゴジンスコエの言及
【チタ】より
…人口37万(1990)。1653年よりインゴジンスコエIngodinskoe越冬部落として知られるようになり,1706年チティンスコエChitinskoe村と改称,コサックおよび毛皮獣狩猟者が多く住んだ。19世紀前半にはデカブリストがこの地で苦役に服したことで有名になる。…
※「インゴジンスコエ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
…人口37万(1990)。1653年よりインゴジンスコエIngodinskoe越冬部落として知られるようになり,1706年チティンスコエChitinskoe村と改称,コサックおよび毛皮獣狩猟者が多く住んだ。19世紀前半にはデカブリストがこの地で苦役に服したことで有名になる。…
※「インゴジンスコエ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...