世界大百科事典(旧版)内のウトゥヘガルの言及
【シュメール】より
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[統一王国――ウル第3王朝]
アッカド王国(前2350ころ‐前2170ころ?)がグティ人の侵入によって衰えた頃,まずラガシュにシュメール人の独立都市王国が栄え始め,グデア(在位,前2143ころ‐前2124ころ)の時代にはアッカド帝国の広い交易圏を受け継いだ富裕な小領土国家が確立された。グデアにやや遅れてグティ人を山岳地帯に追い返し,シュメール人の支配を回復,〈四方世界の王〉を称したウルク王ウトゥヘガルの覇権は,その配下(子ないし弟との説もある)のウル軍事総督ウルナンムの継承するところとなり,ここに5代約1世紀に及ぶ,シュメール人によるシュメール,アッカドの統一王国ウル第3王朝(前2112‐前2004)が成立し,〈シュメール・ルネサンス〉が実現した。 創始者ウルナンムの現存世界最古の法典の編纂(〈ウルナンム法典〉)や,広大な地域にわたる検地と属州画定は,官僚群を支柱とする中央集権的国家の側面をもつこの王朝の開幕を飾るにふさわしい。…
【メソポタミア】より
…次王ののち王朝はグティ人侵入により混乱に陥るが,南部シュメール地方は比較的平和であり,とりわけラガシュは繁栄を享受していた。 前22世紀後半,ウルクのウトゥヘガルがグティ人を駆逐し,さらに彼の子(ないし兄弟)ウルナンムがウルで独立して,ここにシュメール人の統一王朝が成立した(ウル第3王朝)。2代王シュルギのとき王朝は最盛となる。…
※「ウトゥヘガル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」