世界大百科事典(旧版)内のウリヤーノフ,I.N.の言及
【チュバシ[共和国]】より
…ボルガ川流域の他の諸民族と同様,16~19世紀に何度も農民反乱という形で抵抗を示し(ラージンの乱,プガチョフの乱),帝政ロシアでは主に農民身分に編成された。19世紀後半には,シンビルスクのチュバシ師範学校がチュバシ人の教育・啓蒙活動の中心となるが,レーニンの父I.N.ウリヤーノフがシンビルスク県の視学官として,チュバシ人の教育に尽力している。19世紀後半からチュバシ人の出稼ぎが始まっていたが,革命後とくにスターリン体制の下で,チェボクサリを中心に工業が伸び,電機・機械・化学工業が発展し,都市への移住が急速に進み,チュバシ人は都市でも人口の過半を成すまでになった。…
※「ウリヤーノフ,I.N.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」