世界大百科事典(旧版)内のエケケイリアの言及
【オリュンピア】より
…参加都市の数もふえ,前5世紀の最盛期には,イタリア南部,シチリア島,小アジア,北アフリカ,黒海沿岸のギリシア植民都市がこぞって選手を派遣し,オリンピック競技は文字どおりギリシア民族の誇りと団結の象徴的意義を獲得した。祭典の前後は〈エケケイリア(神聖な休戦)〉の協定にもとづき,交戦中の都市も一時戦いを中止して,敵の選手の国内通過を許したという。競技はヘレニズム,ローマ時代にも続いたが,しだいに宗教と民族の純粋性を失って衰微し,394年のテオドシウス帝の禁止令によって終りをつげた。…
【オリンピック】より
…前750年以後,ギリシア本土以外の地中海沿岸や黒海沿岸の各地にギリシアの植民市が建設されるとともに,それらの都市からの参加者も増えた。祭典の数ヵ月前から,オリュンピアのあるエリス地方の使者が,馬に乗ってギリシア全土にオリンピック休戦(エケケイリア)を触れ回った。オリュンピア祭典の成功と各地からの参拝者の旅行の安全を図るためで,必ずしもこの期間にギリシアが完全に平和だったわけではないが,27年にわたったペロポネソス戦争の間も祭典は中止されなかった。…
※「エケケイリア」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」