世界大百科事典(旧版)内のエジプト運河の言及
【カイロ】より
…周辺のコプト教徒も必需品を供給し,ここに住みつく商人も増えた。アムル・ブン・アルアースはファラオ時代以来のクルズム(スエズ)に至る運河を改修して紅海方面と直接の水運を開いたが,これは〈信徒の長の運河〉〈エジプト運河〉あるいは単に〈運河〉(ハリージュ)とよばれ,これによる紅海・インド洋方面との貿易がその後のフスタートの繁栄を支えた。トゥールーン朝(868‐905),イフシード朝(935‐969)の時期には,フスタートの北東にそれぞれアスカルal‐‘Askarとカターイーal‐Qaṭā’i‘の町を建設し,東方からのイラン人,トルコ人,アルメニア人,西方マグリブからのベルベルの流入もみられた。…
【スエズ】より
…ローマ時代にも改修工事が行われて使用されていたが,やがて土砂の堆積によって荒廃してしまった。642年アラブ・イスラム軍の将,アムル・ブン・アルアースがフスタート(現,カイロ)の町を築いたとき,この運河を再開発してフスタートと紅海を結ぶ〈信徒の長の運河(エジプト運河)〉を建設した。スエズ近郊1.6kmに位置するクルズムal‐Qulzumは,この運河の起点として古くから知られていた。…
※「エジプト運河」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」