世界大百科事典(旧版)内のエストニア学術協会の言及
【エストニア】より
…ニスタットの和約でロシア領とされた後,ヘレンの手で北エストニア方言による聖書の完訳(1739)が出版され,これがエストニア文語の基礎となった。やがてフランス革命の余波を受け医師フェールマンF.R.Faehlmannはエストニア学術協会(1838)を組織し,エストニアの民族的覚醒を鼓吹した。彼の友人クロイツワルトは伝説的叙事詩《カレビポエク》を書きあげた。…
※「エストニア学術協会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」