世界大百科事典(旧版)内のエスプリ・ヌーボーの言及
【詩と詩論】より
…当時の芸術派の新進詩人を広く集め,安西冬衛,上田敏雄,北川冬彦,近藤東,滝口武士,竹中郁,春山行夫,三好達治,西脇順三郎,吉田一穂,滝口修造らの詩人が,時代の先端を行く新鮮で活発な詩作活動を展開した。同誌上に発表された作品には,短詩・新散文詩,フォルマリスムの詩,シュルレアリスムの詩,シネ・ポエムなど,多様な詩風・傾向が含まれているが,全体として見ると,エスプリ・ヌーボー(フランス語で新精神の意)とポエジーの純化を唱えた編集者春山の意図どおりに,詩法探求への意欲,実験的姿勢と反写実主義的態度,イメージとフォルムの重視,機知的感覚とドライな知性による造型志向などで共通し,モダニズムの詩風を詩壇に定着させる役割を果たした。なお,この雑誌には海外の新詩,新文学とその理論が次々と翻訳,紹介され,一面で海外文学の紹介・研究誌的な性格をも呈した。…
【オザンファン】より
…初めキュビストとして活躍したがこれに十分満足せず,1918年に画家で建築家のジャンヌレCharles‐Édouard Jeanneret(ル・コルビュジエ)と共に〈ピュリスムpurisme(純粋主義)〉を提唱して,明確な線および形,簡潔な画面構成を強調し,造形言語の純化を企てた。20‐25年,共同で雑誌《エスプリ・ヌーボーL’Esprit Nouveau(新しき精神)》を刊行。30年以降,パリ,ロンドン,ニューヨーク(1938渡米)で美術学校を設立。…
【ル・コルビュジエ】より
… 他方,1917年,画家A.オザンファンと出会い,翌年彼と《キュビスム以後》を著し,装飾に堕したとキュビスムを批判し,機械にイメージを求めて明確・簡潔な抽象造形を目ざす〈ピュリスムpurisme〉を唱える。また20年《エスプリ・ヌーボーL’Esprit Nouveau(新しき精神)》誌を創刊。同誌に発表した建築,絵画から文学にまで及ぶ論文は《建築へ向かって》(1923)にまとめられるが,これは彼の建築論の原型をなすものといえる。…
※「エスプリ・ヌーボー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」