世界大百科事典(旧版)内のエブロインの言及
【ピピン[2世]】より
…中ピピンPippin der Mittelere(von Herstal)と呼ばれる。アウストラシア宮宰(680ころ)であったが,ネウストリアおよびブルゴーニュ宮宰エブロインEbroinに敗れた(680)。しかしエブロインが暗殺されたので,これら両宮宰職をも兼ね,ヒルデベルト3世Childebert III(683ころ‐711)の下に,フランク王国の再統一をなしとげた(687)。…
【メロビング朝】より
…グリモアルドは,東方政策の失敗による東分国の危機に乗じて,ダゴベルト2世を追放し,みずからの子ヒルデベルトを擁立するクーデタを敢行するが(656),この貴族による初の試みも同朝のジッペ(部族)を守護する勢力にはばまれ,ピピン家門は後退した。他方,ネウストリア・ブルグント分国では,クロタール3世(在位657‐673)の母后バルチルデの摂政政権の下で,下級身分出身の宮宰エブロインが宮宰職を王と貴族との間の中間審級として位置づけ,両者を切り離すことによって,同職の権限強化を図った。この政策に抵抗する同分国貴族は東分国王ヒルデリヒ2世をもって,クーデタに成功するが,同王も王権強化策をとることによって,貴族の支持を失い,殺害された(675)。…
※「エブロイン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」