世界大百科事典(旧版)内のエラム人の言及
【バビロニア】より
…先に王の神格化がナラムシンに始まったことに触れたが,この傾向はウル第3王朝期にいっそう徹底し,シュシンの場合のように在位中に王の神殿が建てられたり,これまで神をたたえるためにのみ用いられてきた賛歌の形式が王にも用いられ,多くの王賛歌が作られたりした。 ウル第3王朝滅亡の直接の原因はエラム人の侵攻であったが,間接的にはアモリ人(アムル人)の侵入も一因となった。このアモリ人は,西方セム系の民族で,シリアのビシュリ(バサル)山のあたりに興ったといわれるが,ウル第3王朝期に,最初は傭兵や農業労働者として平和的に南メソポタミアに移住してきた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」