世界大百科事典(旧版)内のエラム文字の言及
【エラム】より
… バビロニアに隣接したエラムは,前4千年紀後半のメソポタミア南部に起こった都市革命の影響をいちはやく受けた。最近の考古学研究によれば,前4千年紀末から前3千年紀前半にかけて,イラン高原南部にラピスラズリ,紅玉髄,凍石(ステアタイト)などの貴石の採取と加工,メソポタミアやインド方面への輸出によって繁栄した一つの文化圏が存在し,この交易活動と結びついてスーサからシースタンのシャフル・イ・ソフタにいたる各地に原エラム文字が使用されていたことが証されている。現在知られる最古のエラム国家はアワン王国で,前2500年ころ(あるいは前27世紀)に成立し,バビロニアに侵入してウル第1王朝を征服した。…
【エラム語】より
…名詞,形容詞,分詞,そのほか不定詞や否定詞をふくむ若干の語も人称接尾辞をとるが,動詞の人称接尾辞とはかならずしも一致せず,とくに三人称において生物体(単数および複数)と非生物体とを区別していることが特徴的である。エラム語を表記する文字として前4千年紀末に原エラム文字が成立し,絵文字から線文字への発達がみられたが,前24世紀以来アッカド楔形文字の導入によって,エラム文字はまもなく消滅した。エラム語はアケメネス朝ペルシア帝国において碑文用語の一つとしてなお重視され,ペルセポリス王宮からも多数のエラム語経済文書が出土している。…
※「エラム文字」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」