世界大百科事典(旧版)内の《エルケントニス》の言及
【カルナップ】より
…後にフレーゲとB.A.W.ラッセルの影響の下に哲学に関心をもち,1926年ウィーン大学の私講師となり,シュリックらとともにウィーン学団を結成し,その中心人物となる。当時ベルリンにいたライヘンバハとともに雑誌《エルケントニス(認識)》を刊行し,論理実証主義の思想を世界に広めた。後にナチスを逃れて,35年アメリカに渡り,シカゴ大学,カリフォルニア大学で教え,その地に新しい哲学を植えつけた。…
※「《エルケントニス》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」