世界大百科事典(旧版)内の《エロシェンコ像》の言及
【中村彝】より
…新宿中村屋相馬愛蔵・相馬黒光夫妻に庇護され,肺患とたたかいながら,レンブラントの明暗法,ルノアールの官能的な色彩に傾倒しつつ,真摯(しんし)に独自の作風を追求した。肖像画にすぐれ,16年《田中館博士の像》が文展で特選となり,20年《エロシェンコ像》は帝展で賞賛を集め,22年審査員に挙げられた。晩年の《髑髏を持てる自画像》(1923,大原美術館),《老母像》(1924,水府明徳会)では,セザンヌの造形的表現への接近を示した。…
※「《エロシェンコ像》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」