世界大百科事典(旧版)内のオーキーの言及
【怒りの葡萄】より
…共和党員でありながら,ローズベルト大統領の親しい友人であったザナックは,社会奉仕に大きな関心をもち,トム・ジョードが家族と別れて去って行った後に,〈民衆は死なない〉と母親(アカデミー助演女優賞のジェーン・ダーウェル)に言わせるラストを自ら撮って付け加えたという。 《怒りの葡萄》の題名は,南北戦争をうたったアメリカの女流詩人J.W.ハウの《リパブリック賛歌》(1862)の第1連に由来し,スタインベックは当初これを小説としてではなく,〈オーキーOkie〉と呼ばれたオクラホマからカリフォルニアへ移住して行く貧民たちをテーマにした一種の〈フォト・ジャーナリズム〉の1冊として企画した。アメリカ記録映画作家の第一人者であり,スタインベックの友人でもあったペア・ローレンツ(《平原を拓く鋤》1936,《河》1937,等)のドキュメンタリズムがこの小説の作風に影響を及ぼしているという指摘の根拠もそこにあり,実際スタインベックはできあがった映画を見て〈まるでドキュメンタリーを見ているようだ〉と喜んだという。…
※「オーキー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」