世界大百科事典(旧版)内のオーストラリア演劇集団の言及
【オーストラリア】より
…オーストラリアのエートスの核をなすメートシップの病理をえぐり出したこの作品が,国内はもとよりロンドンで7ヵ月のロングランを続けるまでの反響を引き起こしたことは,文化ナショナリズムをいたずらにうたい上げる1890年以降の傾向を,戯曲作家や演劇関係者だけでなく,観客の一般オーストラリア人自身が脱皮し始めた証拠と見ることができる。1970年代には反体制文化活動の一環として実験的な劇団が輩出したが,その代表はシドニーではニムロッド劇場に拠るグループ,メルボルンでは乳母車工場を改造したプラム・ファクトリー(現在は閉鎖)とラ・マーマ劇場に拠るオーストラリア演劇集団(J.ヒバード,B.オークリー,D.ウィリアムソンらの戯曲作家はここの出身)である。いずれも素材は,オーストラリアのエートスを痛烈にパロディ化したものが多い。…
※「オーストラリア演劇集団」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」