世界大百科事典(旧版)内のオーバーハウゼン宣言の言及
【ニュー・ジャーマン・シネマ】より
…1962年のオーバーハウゼンOberhausen短編映画祭に集まった〈ミュンヘン・グループ〉(のちに〈オーバーハウゼン・グループ〉)と呼ばれる若い映画作家たち(それまでドキュメンタリーや短編しか撮っていなかった)が,〈パパの映画は死んだ〉という標語を掲げ,〈新しいドイツ映画Junger Deutscher Film〉の創造を宣言。この歴史的な〈オーバーハウゼン宣言〉が〈ニュー・ジャーマン・シネマ〉の出発点になった。アレクサンダー・クルーゲAlexander Kluge(1932‐ ),ペーター・シャモニPeter Schamoni,エドガー・ライツEdgar Reitzらがグループの中心で,新しいドイツ映画の創造のためには〈新しい自由〉が必要であるとして,政府と映画企業に対して,新人監督への門戸開放,処女作への経済的援助および保障,新しい才能を育成するための映画学校の開設などを要求。…
※「オーバーハウゼン宣言」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」