世界大百科事典(旧版)内のオーリック,G.の言及
【映画音楽】より
…E.マイゼル(1874‐1930)がW.ルットマンのアバンギャルド映画《世界のメロディ》(1929)で試みた音と映像の対位法や,ディズニーが短編アニメーション《骸骨の踊り》(1929)で,サン・サーンスの交響詩《死の舞踏》の旋律をシンクロナイズさせた試みなどを経て,30年代には,M.ジョーベール(1900‐40。《巴里祭》《新学期操行ゼロ》《舞踏会の手帖》《北ホテル》など),G.オーリック(1899‐1983。《詩人の血》《自由を我等に》など),F.ホレンダー(1896‐1976。…
【バレエ・リュッス】より
…第2期と同じく,パリ美術界との接触は深く,ローランサン(《牝鹿》1924),ブラック(《うるさ方》1924),ユトリロ(《バラバウ》1925),エルンストとミロ(《ロミオとジュリエット》1926),キリコ(《舞踏会》1929),ルオー(《放蕩息子》1929)ら20世紀美術の新たな方向性を示す作家が参加した。またプーランク(《牝鹿》),オーリックGeorges Auric(1899‐1983。《うるさ方》),ミヨー(《ブルー特急》),ソーゲHenri Sauget(1901‐89。…
※「オーリック,G.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」