世界大百科事典(旧版)内のカザクの言及
【カザフ族】より
…そのころ,ウズベクのアブー・アルハイル・ハーンに圧迫されて,キプチャク・ハーン国の左翼を支配した王族の後裔ジャーニーベク・ハーンJānībeg Khānを戴く遊牧集団は,シル・ダリヤ流域から西部天山北麓へと移住した。彼らはウズベク・カザクÖzbeg‐Qazaq,あるいは単にカザクQazaq(放浪者,冒険者の意)と呼ばれ,ウズベクから離れた者をも吸収して,キプチャク草原(カザフスタン)に勢力を拡大していった。16世紀前半のカーシム・ハーンQāsim Khān(在位1511‐23)のときには,人口30万とも100万ともいわれる大勢力にふくれあがり,やがて,西はウラル山脈,カスピ海北西岸から,東はバルハシ湖までの広い領域を版図とするにいたった。…
【服装】より
…大型の鬘(かつら)や〈クラバットcravate〉と呼ばれるネクタイの原型も出現した。ジュストコルは16世紀末ごろから騎兵や歩兵が用い,17世紀には一般庶民の間にも普及した膝丈のコートの〈カザクcasaque〉が貴族服に昇格したものである。女子服ではコルセットが復活し,上半身はほっそり整えられ,従来と同じくスカートは2枚重ねるが,ふくらみは腰当てによって後方へ集中される。…
※「カザク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」