世界大百科事典(旧版)内のカシャン,M.の言及
【機関紙】より
…アナトール・フランス,トリスタン・ベルナールらも寄稿した《ユマニテ》の創刊号は13万部売れた。ジョレスが暗殺されて以降は,《ユマニテ》の低迷をマルセル・カシャンが主幹になって立て直した。《ユマニテ》が共産党中央機関紙となったのは20年からだが,以降イタリアの《ウニタ》,中国の《人民日報》,日本の《赤旗》とならんで,日刊の共産党機関紙の代名詞のようになっている。…
【ユマニテ】より
…その後立直しがはかられ,ほぼ4万部の線を維持するようになった。14年にジョレスが暗殺され,18年からは左派のカシャンMarcel Cachinが編集長に就任した。20年SFIOが党内の左右対立から分裂すると,《ユマニテ》は左派が結成したフランス共産党の機関紙になって今日に至っている。…
※「カシャン,M.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」