世界大百科事典(旧版)内のカタルニャ・ルネサンスの言及
【カタルニャ】より
… 文化面でも19世紀カタルニャは活気に満たされていた。アリバウの〈祖国への賛歌〉(1833)を端緒としたカタルニャ文化の再興運動は,19世紀末に〈カタルニャ・ルネサンス〉として開花し,詩人マラガル,思想家オルス,音楽家アルベニス,建築家のガウディらが輩出した。スペイン帝国の遺産である植民地を米西戦争の敗北(1898)により失い,総じて悲観的なカスティリャ知識人とは対照的に,カタルニャでは未来に対して楽観的な雰囲気が漂っていたと言える。…
【バルセロナ】より
…ピカソ美術館,ミロ美術館もある。【五十嵐 ミドリ】
[世紀末のモデルニスモ]
モデルニスモModernismoは,アール・ヌーボー,ユーゲントシュティールと同様に,世紀末様式を指すスペイン語であるが,同時期(1890‐1910)のスペインで最も前衛的であったバルセロナでは,反中央的な民族意識の高揚を目ざす〈カタルニャ・ルネサンス〉運動と一致し,あらゆる分野においてカタルニャ人のアイデンティティを求める運動を意味した。なかでも最大の成果を収めたのが芸術分野,とくにブルジョアたちに支持され,市域の拡大期とも一致した建築で,孤高の天才ガウディのみならず,ドメネック・イ・モンタネール,エンリケ・サグニエール,プッチ・イ・カダファルクらが活躍し,ゴシックの町バルセロナを一新した。…
※「カタルニャ・ルネサンス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」