カッパドキア文書(読み)かっぱどきあもんじょ

世界大百科事典(旧版)内のカッパドキア文書の言及

【キュルテペ】より

…アッシリア語でカニシュ,ヒッタイト語でネサと呼ばれた都城の遺跡で,前19~前18世紀ころ,ここにアッシリアの商業植民市が置かれ,アッシリア語で書かれた経済文書が多量に出土している。〈カッパドキア文書〉と総称されるこれらの文書によって,ヒッタイト王国の成立にやや先立つころ,この方面に,銅を求めるアッシリア商人の活動があったことが知られる。【岸本 通夫】。…

【ヒッタイト】より

…インド・ヨーロッパ語系諸族が移動して来た頃のアナトリアは,アッシリア商人が各地に居留区(カールム)を築き,原住民のプロト・ハッティなどと交易を行っていた。その拠点の中心がキュルテペ(古名カニシュ)の城外に置かれ,ここから出土した粘土板文書(〈カッパドキア文書〉)にインド・ヨーロッパ語的人名が認められる。これから推測して,前1800年ころにはインド・ヨーロッパ語系諸族はアナトリアに定着していたものと思われる。…

【ヒッタイト文字】より

…また音節文字(母音+子音,子音+母音,子音+母音+子音)である関係上,語頭・語末に2文字以上,語中に3文字以上の子音を重ねることができないため,真母音と偽母音との見分けがつけにくい場合がある。 ヒッタイト族が楔形文字をいつ導入したかには定説はないものの,前18世紀の〈カッパドキア文書〉にヒッタイト族の人名が確認されており,この時期の前後,前19世紀末から前18世紀初頭には導入されていたと推測される。また,前1800年ころから,おもに印章や碑銘に使用されていたヒッタイト族独特の象形文字は,ヒッタイト王国の滅亡後も北シリア,アナトリア南東部に興った後期ヒッタイトの諸侯国に引き続き用いられ,前8世紀ころまで命脈を保った。…

※「カッパドキア文書」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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