世界大百科事典(旧版)内のカデシュの戦の言及
【シリア】より
…シリアの諸都市も互いに抗争し,弱体化した。当時の最も有名な戦いは,エジプトとヒッタイトの戦いのカデシュの戦(前1286ころ)であったが,決着はつかなかった。
[アッシリアとペルシアの支配]
このような中で,エーゲ海方面からの混成移住民〈海の民〉,アラビア砂漠からラクダとともに現れたアラム人,一部は出エジプトの集団,他はハピルあるいはハビルと呼ばれた流浪の民ヘブライ人などがシリアに移住した。…
【ラメセス[2世]】より
…父王の遺志を継いでアマルナ時代に失われた北シリアの回復を目ざし,デルタに新設したラメセス市に遷都,数度にわたるアジア親征でヒッタイト軍と戦った。治世第5年のオロンテス河畔カデシュの戦は詳細な記録の存在によりとくに名高いが勝敗はつかず,アッシリア王シャルマネセル1世の地中海進出の脅威を前に北シリアの回復を断念した。治世第21年にはヒッタイト王ハットゥシリ3世との平和条約により相互軍事援助同盟を結んで,権益の現状固定を図り,ヒッタイト王女と結婚した。…
※「カデシュの戦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」