世界大百科事典(旧版)内のカメルーン民族同盟の言及
【カメルーン】より
… この連邦は,初代大統領に東カメルーンのアヒジョAhmadou Ahidjo(1924‐89)が,副大統領に西カメルーンのJ.N.フォンチャが選ばれたほか,国民議会の議席配分が東の40に対して西の10といったように,面積,人口の違いを反映して東部優位であった。さらに連邦はその後しだいに形骸化の度を強め,連邦政府が地方に対して強い権限を行使しうる方向で制度改革が進められ,また66年には既存の諸政党を糾合した新政党カメルーン民族同盟(UNC)の東西にまたがる一党体制が成立した。この間,1955年に武装蜂起を行ったため非合法化されたUPCの反政府ゲリラ闘争もしだいに弱まり,アヒジョ政権は揺るぎないものとなっていった。…
※「カメルーン民族同盟」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」