世界大百科事典(旧版)内のカラマンリー朝の言及
【マグリブ】より
…マグリブとは,アラビア語で〈日が没する地〉あるいは〈西方〉を意味し,今日では,東方のアラブ諸国,つまりマシュリクに対して西方のアラブ諸国の呼び名である。マグレブとも呼ばれる。狭義には,かつてフランス領北アフリカとも呼ばれたチュニジア,アルジェリア,モロッコを含む北西アフリカを指すが,広義には,これにリビアを含める。場合によっては,さらに西アフリカのモーリタニアと旧スペイン領サハラ(西サハラ)まで含めることもあるが,それは,この地域の住民の多くが,アラブ系のイスラム教徒で,歴史的にも狭義のマグリブと共有する部分が少なくないからである。…
【リビア】より
… リビアの沿岸地域は古代以来いわば征服軍の通路にあたり,その時々の政治体制に組みいれられてきたが,16世紀半ばエジプトから北アフリカ一帯がオスマン帝国領となるや,リビアも1551年キレナイカからトリポリタニアが同帝国の支配下に入り,78年,トリポリ・ベイ領としてオスマン帝国の直接支配に服することになった。オスマン帝国支配は1711年,土着化したオスマン軍人で地中海の海賊行為を拠りどころに台頭した,アフマド・カラマンリーAḥmad Qaramanrīの手に移り,リビアは1世紀余りの間カラマンリー朝(1711‐1835)の支配にゆだねられた。しかし,トリポリを拠点とするリビア支配は,実質上,沿岸地域だけに限られた。…
※「カラマンリー朝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」