世界大百科事典(旧版)内のカルムイク・ハーン国の言及
【カルムイク[共和国]】より
…1240年代にはキプチャク・ハーン国の支配下に入り,キプチャク・ハーン国の解体後に,この地域にアストラハン・ハーン国が成立したが,1556年にロシア帝国に併合された。そして,17世紀の初頭から半ばにかけて,ジュンガリアからカルムイク人が移住し,ロシア帝国の枠内でカルムイク・ハーン国を形づくった。カルムイク人は,ロシア帝国の軍隊として北方戦争(1700‐21),七年戦争(1756‐63),祖国戦争(1812)など17~18世紀のロシアの主要な対外戦争のほとんどに参加した。…
※「カルムイク・ハーン国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」