世界大百科事典(旧版)内の《カンダナ・カンダ・カーディヤ》の言及
【ガンゲーシャ】より
…生没年不詳。12世紀に不二一元論派のシュリーハルシャが《カンダナ・カンダ・カーディヤ》の中でウダヤナなどの知識論を痛烈に批判したが,その批判に答えるために彼は大部の《タットバ・チンターマニ》を著した。この書は4章より成り,直接知,推理,類比,言語という四知識手段を各章に配当して詳論している。…
【清水次郎長】より
…江戸後期・維新期の俠客。駿河国有渡郡清水湊の海運業三右衛門の三男として生まれ,のち母の弟である米屋山本次郎八の養子となる。山本長五郎が本名で次郎長は通称。幼年期より粗暴の性質であった。1835年(天保6)に養父が死去し,家業を相続した。41年に博徒の仲間に入り俠名をあげ,多数の子分を従えた。縄張争いのため,尾張八尾ヶ獄の久六,甲州黒駒の勝蔵,伊勢の安濃徳らとたびたび抗争した。68年(明治1)に倒幕のため東上した東海道総督府より,道中探索方を命ぜられ,帯刀を許された。…
【桃川如燕】より
…講談師。(1)初代(1832‐98∥天保3‐明治31) 本名杉浦要助。初代伊東燕晋(えんしん)の門人で,明治天皇の御前口演をつとめたことから大如燕と呼ばれる。豪放な読み口で人気があり,酒気をおびた高座が多かったといわれる。(2)2代(1867‐1929∥慶応3‐昭和4) 本名斉藤嘉吉。3代一竜斎貞山の門から桃川派に転じ2代を継ぐ。《義士伝》を十八番とし,人望も厚かった。(3)3代(1898‐1976∥明治31‐昭和51) 本名岡田秀章。…
※「《カンダナ・カンダ・カーディヤ》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」