カンブレー和約(読み)かんぶれーわやく

世界大百科事典(旧版)内のカンブレー和約の言及

【カール[5世]】より

…25年パビアPaviaの戦でフランソア1世を破ったのちも,フランスは,ハプスブルク勢力の強大化を恐れる教皇や北イタリア諸国,さらに東方のオスマン・トルコとも手を結んで,カールに対抗した。この数次にわたるイタリア戦争で,最初は皇帝が優位に立ち,29年夏のカンブレー和約でミラノ,ジェノバを得,翌年にはボローニャで教皇から帝冠を受けて,イタリアにおけるヘゲモニーを確立したかに見えた。しかし同じころオスマン・トルコのスレイマン1世がウィーンを脅かし,カールはドイツ諸侯の援助でこれを撃退したものの,北アフリカ沿岸にスペインがもっていた拠点を次々とオスマン・トルコに奪われた。…

※「カンブレー和約」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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