世界大百科事典(旧版)内のカンプチア統一戦線の言及
【インドシナ戦争】より
…しかし米軍は同時に南ベトナム政府軍の後方安定のために,70年3月18日カンボジアのロンノルLon Nol首相に反シアヌーク・クーデタを起こさせ,親米的なクメール共和国を成立させた。ただちにアメリカ・南ベトナム軍はカンボジア領に入って解放軍の掃討作戦を展開し,一方,追われたシアヌークは左派勢力クメール・ルージュと連合してカンプチア統一戦線を結成し,各地でゲリラ活動に入った。また71年2月アメリカ・南ベトナム軍はラオス南部に出兵し,北ベトナムと解放戦線の連絡ルートを断とうとした。…
【カンボジア】より
…正称=カンボジア王国Kingdom of Cambodia 面積=18万1035km2人口(1996)=1027万人首都=プノンペンPhnom Penh(日本との時差=-2時間)主要言語=クメール語(カンボジア語)通貨=リエルRielインドシナ半島の南西隅に位置し,北海道の2倍強の面積をもつ国。カンボジアといえば,王国,敬虔な仏教徒,アンコール・ワットなどで知られていたが,1970年3月のシアヌーク元首の解任により,インドシナ戦争に大きく巻き込まれ,混乱と戦争が続き,鎖国,難民,首都プノンペンの無人化,虐殺という不可解な変事が続発した。…
※「カンプチア統一戦線」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」