世界大百科事典(旧版)内のカーティン,J.の言及
【オーストラリア】より
…また小規模の空襲を除いて,日本軍による本土侵攻はなかった。1941年労働党内閣首相カーティンJohn Curtinはイギリスとの絆を断って対米依存に踏み切り,翌年のシンガポール失陥後,チャーチル首相の反対を押し切ってヨーロッパ戦線からビルマ戦線へ転送中の自国軍を本国に回収した。42年太平洋方面連合軍最高司令官マッカーサーはマニラを退去し,メルボルンにGHQを移した。…
※「カーティン,J.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」