世界大百科事典(旧版)内のカール・ツァイス・オーバーコッヘンの言及
【カール・ツァイス[会社]】より
…第2次大戦後,イェーナはアメリカ軍が占領,ヤルタ会談でソ連の管理下に入った。45年アメリカ軍のトラックでイェーナから西ドイツへ向かった財団の経営スタッフ,工場の研究スタッフ126人は,46年ハイデンハイム近郊のオーバーコッヘンに移り,企業再建に立ち上がり15年で復旧させた(カール・ツァイス・オーバーコッヘン社)。またマインツにショット社を再建。…
※「カール・ツァイス・オーバーコッヘン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」