世界大百科事典(旧版)内のカールの書の言及
【カロリング朝美術】より
…大帝は学問の振興のためにアルクイン,テオドゥルフThéodulf(750ころ‐821)ら多くの学識者をヨーロッパ各地からアーヘンに招いた。彼らの中にはビザンティン帝国で起こったイコノクラスム(聖像破壊運動)に反対の論陣を張る者があり,大帝は有名な〈カールの書〉を発して聖像表現を認めた。このため帝国の美術活動はいっそう活発になった。…
※「カールの書」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」