世界大百科事典(旧版)内のガリア・ベルギカの言及
【オランダ】より
…
【歴史】
[古代,中世]
オランダは16世紀末に独立するまで,今日のベルギー,ルクセンブルク,北フランスの一部を含むネーデルラントの一部をなし,これらの地方とほぼ共通の歴史をもった。 前1世紀の中葉,ユリウス・カエサルの率いるローマ軍はベルガエ人を破り,ライン川以南の地域を征服して属州ガリア・ベルギカGallia Belgicaとし,さらにライン川を越えて全ネーデルラントを支配しようとしたが,ライン川北方に住むバタウィ人Bataven,カンニネファート人Kanninefaten,フリーシー人Friezenなどのゲルマン系諸部族にさえぎられて成功しなかった。3世紀以降のゲルマン民族大移動期において,フリーシー人は沿岸地域に居住し続け,ザクセン(サクソン)人は北東部からエイセル川の線まで進出し,またフランク人はライン川の南部地方に侵入し,徐々に勢力を拡大した。…
【ベルガエ】より
…カエサルはベルガエの豪勇を伝えているが,諸部族間の統合を欠き,前57年カエサルによってほぼ征服され,前52年最も好戦的なベロウァキ族Bellovaciも平定されて,以後はしだいにローマ化した。アウグストゥス治下,この地は皇帝管轄属州ガリア・ベルギカGallia Belgicaとなり,ドミティアヌス治下にそこから上・下両ゲルマニア州が分離,さらにディオクレティアヌスの帝国再編でベルギカ・プリマBelgica Primaとベルギカ・セクンダBelgica Secundaの2州に分かれた。また,ベルガエの一部は前75年ころおよびカエサルのガリア征服の際,イングランド南部に渡り,カトゥウェラウニ族Catuvellauniを中心にローマのブリタニア侵略に抵抗した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」